ルンビニー・センター

「ルンビニーセンター」は、「ルンビニーの園」全体のゲイトとして設置されており、中央水路の両側に位置しています。この地区には、管理事務センターや観光案内所をはじめ、巡礼者と観光客の宿泊施設郵便局などの公共施設、医療施設などが設置されています。この「ルンビニーセンター」から「聖なる庭」に至る間は、セントラル・リンクという歩行車道によって結ばれており、また、これに並行して設けられている水路は、老人や身体の不自由な人を運ぶためのボートを運行することができます。


ルンビニー基本計画
1967年4月、元国連事務総長ウ・タント氏がネパールを公式訪問した際、全世界の仏教徒の聖地であるルンビニーを「世界共有の宗教・文化・観光のために開発すべきである」と提言しました。そして、1970年4月、アジアの13ヵ国によるルンビニー開発国際委員会がニューヨークで結成され、委員長にはネパールの全権国連大使が就任しました。ルンビニー開発の基本計画は、国連の委任により、世界的に著名な丹下健三氏が作成したもので、現在、国連当局によって、ネパールの経済・社会・文化計画の一環として進められています。

基本計画の目標は、「ルンビニーの園」として知られる約3平方マイル(770ha)の地区を修復再建することであり、その周辺地区が「ルンビニーの園」を保護するために開発されます。設計の基本は「ルンビニーの園」という象徴の実態を単純明快に強調することであり、聖なる庭、ルンビニー・センター、文化センター、僧院地区の四つの要素および付属施設から成っています。これらの各要素をセントラル・リンクが結び、その中央に流れる広々とした水路の全域に渡って、アショーカ王の建てた石柱への見通しとヒマラヤ山脈へのすばらしい眺望が展開されます。


文化センター
「文化センター」は「ルンビニー・センター」の南に位置しており、コロネード伝いの影のある遊歩道で結ばれます。その西側に、発掘された考古学上の遺物や佛陀の生涯を物語る各種の資料を展示する博物館、および公会堂が配置されます。東側には図書館、視聴覚教室、研究所などが配置されています。


聖なる庭
「聖なる庭」は生誕地を象徴しており「ルンビニーの園」の焦点になるものです。聖域内はアショーカ王の石柱や古井戸などの遺跡がそのまま残され、考古学上の完璧さを守るために構造物は何もありません。また、造園と発掘のための区画は、一段高く設けられた歩道によっていくつもの正方形が形成され、この聖域全体が、円形の築堤と池で囲まれる計画となっています。
正方形を包む円という形は、釈尊の慈悲という考えを純粋かつ単純に表現するものです。


僧院地区
西僧院地区(大乗仏教)と東僧院地区(上座部仏教)の二つの僧院地区が、セントラル・リンクに沿った両側に、幅広い緑地帯を隔てて41区画設置され、ルンビニー復興計画、参加国によって開発されます。各僧院地区の中心には、円形もしくは半円形の広場が設けられます。


日本寺院
日本寺院建設は西僧院地区の160m×160mの、最大エリアで行われます。